1. はじめに
「自分が何を提案したいのかよりも、相手をちゃんと知るってことのほうが100倍大事やねん!」
上記は、筆者が保険会社時代に当時の上司から言われた言葉である。無形商材全般に言えるのかもしれないが、ほとんどの保険の商談においては、顧客の人となり、ライフイベント、経済状況等を把握し、ニーズ喚起を経て商品説明に納得してもらうというプロセスを経る必要がある。だからこそ、まずは「相手を知る」ということが極めて重要であるということを、上司は伝えたかったのだと思う。
生損保各社においては、上記の「相手を知る」プロセスの中で得た膨大な情報が「募集人※1の脳内」のみに存在し、活用できていないという課題を長らく抱えてきた。営業プロセスが属人化していることに加え、営業職員や代理店等の募集チャネルは人材の流動性が高いため、顧客の情報を蓄積し活用することが難しく、機会損失が発生していたのである。このような中、近年では統合データ基盤やBIツール等のソリューションが広まったことにより、保険業界においても、保有している様々な情報(契約情報、募集人との折衝履歴、支払い履歴、募集時に収集した家族やライフイベントに関する情報、健康状態…等)を集約し、活用を模索する取り組みが加速している。
同時に、少なくとも筆者の見聞きする範囲においては、データ利活用の取組が当初の想定通りには進まず難航しているケースが多いようにも思う。そこで、本稿では保険ビジネスにおけるデータ利活用によってどのようなことが実現し得るのかを示したうえで、その取組の難しさと成功のカギがどこにあるのかを考察したい。
2. データドリブン経営のブループリント
保険商品の購買プロセスにおいては、事前のニーズ把握のプロセスを踏むことが法令上義務付けられている※2こともあり、(記録・データ化されているかはさておき)実に様々な顧客情報が手に入る。また、契約後も定期的な接点を持つことが多く、結婚・出産・住宅購入・マイカー購入・転職などの様々な情報をキャッチする機会が豊富にあるため、これらの情報を統合DB等を用いて集約・データ項目化して管理することで、次のような世界が実現し得る余地があることは、想像に難くないだろう。
- マイページやMAツールを活用したデジタルマーケティング強化
- 顧客の指向やライフイベントに合わせた保険商品・サービスのレコメンド
- 募集人向けの顧客フォロー・提案アクションのレコメンド
- KPI可視化による経営管理高度化・施策立案の機動力向上
- 健康状態や運転特性等のパーソナルデータを基とした引き受け判断・料率設定
- 顧客の属性や過去折衝履歴に応じた保全オペレーションのスリム化
- 顧客名寄せデータ提供による業務量削減…等
人口減少や可処分所得減少等の環境要因により国内マーケットは緩やかに縮小し、同時に乗合代理店をはじめとした販売チャネルからの圧力によってこれまで以上に熾烈な競争にさらされる保険会社にとって、データ利活用によるトップライン拡大・コスト削減は、厳しい現状を打破するための起爆剤として強い期待が寄せられている。
3. 保険ビジネスにおける顧客データ活用の難所
しかしながら、筆者が生損保各社の関係者と会話をする中では、多くの生損保社が上記のような取組に着手したものの、実行フェーズが難航し、塩漬けになっているという事例を頻繁に耳にする。保険ビジネスにおけるデータ利活用の難しさは、どこにあるのだろうか?すべて列挙することは難しいが、主なものとしては以下の3点が挙げられるのではないかと推察する。
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契約単位でのデータ管理
多くの保険会社では、顧客データ管理が契約、すなわち証券番号単位で管理されている。これは、顧客(口座番号)単位で各種データが管理されている銀行や証券会社とは大きく異なる。入出金や各種金融商品の売買データが顧客(口座番号)をキーとして管理されている場合、各種データの名寄せ・分析は比較的容易であるが、保険においてはそうは行かない。例えば、ある顧客はマイカー購入時にディーラーで自動車保険を契約し、住宅購入時に火災保険をハウスメーカーで契約するかもしれない。この場合、この2つの契約データが独立して存在することになるが、これらを1か所に集約するだけでは「意味」を見出すことは難しいだろう。近年では、こうした特徴を踏まえ、統合DBの構築を進めている会社も多いが、こうした膨大な契約単位のデータを名寄せし、1つの顧客IDに紐づく一筆書きのデータとして再編する作業に要する工数は大きい。
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旧個社や商品の単位でデータが点在
保険業界の歴史は、合併による再編の歴史であるとも言える。2000年以降だけでも、生保社で22回※3、損保社13回※4の合併・統合・契約移転が行われ、各社の商品に紐づくデータの管理は満期まで合併先へと引き継がれることとなる。しかしながら、多くの保険会社では合併後も旧個社のデータが完全には移行・統合されず、別システムで管理されている。これによって、データの集約ができないばかりか、旧個社のシステムの有識者の退職等によって、「もはや正しいデータがどこに存在するのかも分からない」という状態に陥っているケースもしばしば見受けられる(これは、保険期間が長期にわたる生保において顕著である)。
これに加えて、担当部門や商品によって別管理されているケースも多く、各部門のオペレーションに個別最適化された構成・配置となったデータの所在を突き止め、「集める」だけでもその工数は並大抵のものではないだろう。
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対販売チャネルにおけるデータ吸い上げ/還元のハードルが高い
保険会社の営業職員や代理店の募集人にとって、顧客とのつながりは資産である。故に、その資産を独占したい(他の販売チャネルには渡したくない)というインセンティブが働くのは自然なことであり、これが冒頭に述べた営業プロセスの属人化にもつながっている。取得した顧客情報の入力に販売チャネルの協力を得るには、ハードな交渉を伴うであろう。また、入力されたデータを保険会社側で集約・名寄せし、示唆のあるデータとして整理したとしても、そのままの形で各販売チャネル従事者へ還元することは、情報セキュリティの面でも販売チャネルとリレーションの面でも高いハードルがある。損保はもちろん、生保においても代理店チャネルの勢力が拡大※5※6し、今後ますます製販分離が進んでいくことが予想される保険業界において、販売チャネルとの協力関係を如何に構築するかがポイントとなる。
顧客に関する様々な情報をインプットとして提案につなげる必要がある保険ビジネスにおいては、顧客データ活用によるブループリントを描きやすい。一方で、上記に示したような調査のボリュームや課題の複雑難解さ、あるいはチャネル間調整にかかる労力まで解像度高く想定することができず、その実行を難しくしているのではないか。では、これらの難所を乗り越え、データ利活用を推進するために必要な要素はどのようなものなのだろうか?次章においては、その要諦について私見を述べることとする。
4. 成功の要諦とXspearにできること
保険会社のデータ利活用の取組を成就するためのカギを握るのは、企画・構想フェーズでどれだけ解像度の高い検討ができるかにかかっている。月並みではあるが、特に以下3点が主なポイントになる。
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変革/実現したいことを明確化する
「現状の在り方の何を変革し、結果として何を実現したいのか」を明らかにすることが何よりも肝要である。それも、まずは欲張らずに本当に優先度の高いものに絞るべきである。データの活用とは言っても、実現したいことは様々あるはずだ。顧客の特性に応じたオペレーションを設計することで業務量を削減したい場合もあるだろう。デジタルチャネルを活用したマーケティング施策に繋げたいというケースもあり得るだろうし、或いは顧客一人ひとりのリスクに合わせた引受判断・レート設定を行うアンダーライティング高度化が目的なのかも知れない。
これらの目的によって、必要なデータの種類、要求される精度や鮮度は全く異なってくる。得てして「手段の目的化」が起こりやすい取組であるからこそ、常に「目的に沿っているのか?」という問いに立ち返ることができる指針を持てるかが大切である。
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「合格ライン」を決め、その見定めができる体制を組む
得てして、このような取組は100点満点を狙える性質のものではないと考えている。取得できるデータの種類、精度、鮮度には限界があり、コスト面の制約によって妥協を強いられる場面は多いはずである。このような場面においては、目的に応じた「合格ライン」を決め、合格ラインを満たす場合は一定の制約は許容したうえで前進する潔さが必要である。また、こういった制約は情報システム部門が調査を経て検知することとなるケースが多いため、情報システム部門側で目的と照らし合わせて制約をのめそうかどうかの当たりをつける必要が生じてくる。したがって、プロジェクトの目的を定める構想・企画の段階から「具体」を語ることができる情報システム部門の有識者を巻き込む必要がある。
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顧客から直接情報を収集するための接点を持つ
販売チャネルの募集人が保持している情報は定性的な情報も多く含まれるため、吸い上げには限界があることも事実であると考える。したがって、保険会社が顧客から直接情報を収集するための接点を構築することも重要である。例えば、損保では自動車保険の契約者にドライブレコーダーを貸与し、スマホアプリを経由して被保険者の運転特性(急ハンドル、急発進の頻度等)をデータ化して収集しており、生保ではアプリを用いて生活習慣や健康状態等のデータを直接収集するサービスの例が存在する。こうしたデジタルタッチポイント拡充施策は、例えば利用登録率や手続き実施件数を営業組織や代理店評価のKPIに組み込む等の方法によって、営業職員や販売チャネルとの利害を一致させ、推進の協力を得られる仕組みを作れるかどうかがカギとなるだろう。
まさに「言うは易く行うは難し」なのだが、これらは当社グループが最もケイパビリティを発揮できる領域でもある。Xspear Consultingでは、データを活用したオペレーション改善や新規事業の検討支援を実行した経験を有し、企画立案から伴走支援までをサービスとして提供。加えてDX人材育成の一環として、DX成就の要諦についての研修やデジタル施策の企画・プロジェクト立上げプロセスの伴走支援までを数多く手掛けている※7。また、グループ会社のシンプレクスは、トータル保険業務ソリューション“Simplex xInsurance”※8の豊富な導入実績に立脚したシステム・オペレーションの両面における深い知見や、クラウド基盤での統合DB構築等の実績※9を有している。Xspear Consultingのプロフェッショナルは、時にシンプレクスの知見・実績も活用しつつ、実行フェーズを解像度高く見据えた戦略・構想策定から、地に足のついた着実なプロジェクトの推進までを一気通貫で支援し、クライアントのビジネスに貢献したいと考えている。より詳しい情報やコンサルティングに関するご相談は、ぜひ「お問い合わせ」よりいただければ幸甚である。
- ※1
- 保険商品の勧誘や販売を行うための協会資格を有し、金融庁へ届け出を行っている者を指す
- ※2
- 金融庁公表データ
- 現行保険業法294条では、顧客がライフプランや公的保険制度等を踏まえて自らが認識しているリスクや保障の必要性に即した内容での提案を行うこと義務付けており、この行為を「意向把握」と呼ぶ。詳細は次の金融庁HPを参照
https://www.fsa.go.jp/common/law/guide/ins/02d.html - ※4
- 日本損害保険協会 『損害保険会社(会員会社)の変遷<1989年(平成元年)度以降>』
- https://www.sonpo.or.jp/about/gaiyo/ev7otb0000000cgy-att/hensen.pdf
- ※5
- 日本損害保険協会 『年度代理店統計』
- https://www.sonpo.or.jp/report/statistics/boshu/ctuevu000000531p-att/keitai3.pdf
- ※8
- Simplex xInsurance 共通サービス化によりDXを推進する「トータル保険業務ソリューション」
- https://www.simplex.inc/solution/xinsurance/
- ※9
- データ基盤・分析ソリューション ニーズや課題・状況に応じた最適なデータ分析基盤の構築と分析支援
- https://www.simplex.inc/service/cloud/aws/data-analysis/
Manager
猪野 道生
Michio Ino

新卒で大手損害保険会社に入社し、保険金査定、代理店営業、チャネル統廃合(代理店間M&A/アライアンス)推進業務に従事。その後、国内コンサルティングファームを経て2022年にXspear Consultingに参画。
保険会社、証券会社を主なクライアントとし、事業戦略の策定/実行、業務改善、アウトソース、ITガバナンス強化、システム要件定義など幅広いテーマの支援実績がある。
